【ミニマリスト】イヤホンなし生活のすすめ。

earphones-dansyari

皆さんはイヤホンを持っているだろうか?私は持っていない。

持ち物を少なくしたかったのと、イヤホンをしている時間は本当に有意義なのかと疑問に思い、手放したのだ。そしてイヤホンを手放してから2年以上が経過した。

現代人でイヤホンやヘッドホンを持たずに生活している人間はかなり稀だろうから、イヤホンなし生活の実体験を語ってみようと思う。

目次

イヤホンで常に耳を塞ぐ私たち

通勤時間の満員電車で周りをよく見ると、多くの人がイヤホンで耳を塞いでいる。

いつからだろう、外出するときに、常に耳にAirPods Proをつけるようになったのは。

ジムで筋トレしている時も、公園をランニングしている時も、夕食後皿洗いをしている時も、勉強をしている時も、仕事をしている時すらもそう。

娯楽に溢れたこの世界で私たちは、どんどん「無音」や「退屈」に耐えられなくなってしまっている。「なんとなく耳が寂しい」、「暇だ」という違和感を解消するために私たちは音楽や映像コンテンツを求める。

私たちは、音楽なしでは何か作業をすることができないくらいに依存しているのではないか。

(満員電車の場合は、ストレス過多な空間だから音楽でも聴いていないと気が狂いそうになるだけなのかもしれないが。)

BGMのつもりで好きな音楽を流しながら勉強して学習時間が増えたと満足しているが、それは効率が悪くなっただけなのではないか?それは本当に勉強に集中できたと言えるのか?

私が子どもの頃はイヤホンなど持っていなかった。あの頃は何をするにも今やっている行為に集中していた気がする。

それを取り戻さなければならないと思った。

イヤホンなし生活で気づいたメリット

音楽・動画への依存が減る

「公共の場では静かに」というのが日本における暗黙のルールだ。

イヤホンを断捨離したその日から、公共の場所で何かを待っている時など、何となく耳が寂しくて暇だからという理由で、動画や音楽を再生することができなくなった。

必然的にAmazon musicなどの音楽関係のアプリもスマホから削除された。音質に拘るなんてこともなくなった。というか拘ることすらできなくなった。

そんな日々を続けていると、音楽を聴いていないとやり過ごせなかった空白の時間を、音楽に頼らずともやり過ごせるようになっていった。退屈への耐性を取り戻したと言える。

現在、待ち時間などで暇な時は、kindle本を読んだり、ブログの記事の内容を考えたりする時間にあてている。これまでの何となくイヤホンをして何となく音楽を聴いていた時間よりも生産性は上がったと思っていいだろう。

作業に集中できる

これまで、ブログを書く時には必ずBGMを流しながら作業していた。それで効率が良くなると信じていたんだ。でもそれをやめてみたら、いかに今までBGMが作業の邪魔になっていたのかが分かった。

ながら作業がなくなることによって、明らかに執筆スピードは上がったし、内容もより洗練させることができるようになったと思う。(個人的感想)

人間の脳はマルチタスクが苦手な構造になっているというのは、どうやら本当らしい。本人が音楽を聴きながらの方が集中できると思っていても多分それは勘違いだ。

作業時間や勉強時間が伸びたことを嬉しいと捉えるのではなく、ただ効率が悪くなっただけかもしれないと疑いの目を向けよう。

勉強をするときは今取り組んでいる課題にのみ集中する。筋トレをする時は筋繊維一本一本をコントロールするくらいまで集中する。それが大事だ。

そして音楽を聴く時は、BGMとしてではなく、音楽を鑑賞することに集中する。ヴォーカルの歌声、ギターの力強くも儚いサウンド、リズム隊の自然と身体が動いてしまうようなリズム、全ての音に耳を傾けるのが、音楽を鑑賞するということだ。

音楽を聴くことが悪いのではない。2つの作業を同時にやろうとすると、どちらにも集中できなくなるから、「二兎を追う者は一兎をも得ず」ってやつだ。

周囲の音に気付きやすい

いつの日か、私は外出するときには本当に必ずと言っていいほどイヤホンを耳に装着することで、外部の音を極限まで遮断し、自分の世界に閉じこもるようになっていた。

しかしイヤホンをやめて外を歩いてみたら、当たり前だがいろいろな音を感じることができた。これまではこれらの音を全て無視していたのだなと思った。多分必要な音すらも無視していたことはあったのだろう。

世界は思っていた以上に賑やかであり、そんな世界も悪くはない。

あと冷静に考えると、周囲の音を遮断するのは普通に危険である。自分の家などの安全が確実に確保されている場所では問題にならないが、外出中は周りの音が聞こえないと、万が一の危険を察知することができない。

近年、歩きスマホは危険だと散々言われているが、常にイヤホンも同じくらい危険だと、発信されてもいいのではないだろうか。

耳にやさしい(多分)

最近はイヤホンで大音量の音を長時間聴き続けたことが原因とされる難聴も増えている。ヘッドホン・イヤホン難聴などと呼ばれており、特に若年者が発症するケースが多いようだ。

最近のイヤホンは昔のイヤホンに比べてフィッティングが良いから、耳に長時間つけっぱなしでもそこまで不快になることはない。しかしだからこそイヤホンを使いすぎてしまうのだろう。

難聴は高齢者がなる病気というイメージがあるが、若くても難聴にはなるのだ。もしイヤホンを使う時は、ボリュームを適切な範囲で設定しよう。

大音量で音楽を聴くのは最高に気持ち良いのはわかるが、難聴になっては音楽を楽しめなくなってしまう。聴力は消耗品だ。一度失えば回復するのは難しい。そうなってしまわないように予防することが一番大切である。

イヤホンを使わない人は、大音量にさらされ続けるということはあまりないため、その点は安心だと言える。

イヤホンを管理する手間がなくなる

最近は有線のイヤホンではなく、ワイヤレスイヤホンが主流である。確かにあれは便利だ。私もAir Pods Proを使っていた。

しかし有線のイヤホンにはなくて、ワイヤレスイヤホンにのみ存在する問題が1つある。それは、イヤホンの片方だけをなくしてしまう可能性があるということだ。もしかしたら経験がある人もいるかもしれない。

イヤホンは左右の耳に装着して初めてステレオで音楽を聴くことができる。つまり片方をなくせば終わりだ。

そもそもイヤホンを持たなければ、そんな心配は全くもって不要である。

(メルカリで片方だけが売りに出されているケースもあるので、もし片方をなくしてしまった人はメルカリを覗いてみるのもありかもしれない。)

イヤホンなし生活のデメリット

外出先で音楽を楽しみ辛い

先ほど、外出先でイヤホンが使えないことによって、音楽が聴けなくなり、その他の生産性の高いことに時間を使えるようになったと書いた。

これはメリットと言えるが、当然デメリットにもなり得る。

生産性を高めることは確かに大事だが、外出先で一切音楽を楽しめないというのも少し寂しかったりする。

音楽を聴くという行為が、娯楽の領域を超えて依存にまで達してしまうのはよろしくないが、娯楽を享受するという人間的な行為までをも完全に失うのもまたよろしくない。

ながら作業をするためではなく、外出先でも純粋に音楽を楽しむことができる人にとってはイヤホンは必要なのかもしれない。

オンライン通話がやりにくい

コロナ渦移行、対面でのコミュニケーションではなく、zoomなどを使ったオンラインでのコミュニケーションの機会が爆発的に増えた。

オンライン通話をするにあたってはイヤホン(マイク付き)がかなり役に立つ。

特にノイズキャンセリング機能付きのイヤホンだと、周囲の雑音をかき消し、相手の声をクリアにこちらに届けてくれるため大変便利である。

イヤホンを持たないことによる、外出先で音楽を楽しみ辛いという娯楽的な観点は些細な問題に過ぎないが、仕事に支障が出るというのはかなり大きな問題になる。

オンライン通話を頻繁に行う人にとってはデメリットが大きいので、イヤホンを所有しておく方が無難だろう。

仕事つながりでいうと、音を扱う仕事(動画編集など)をする場合は、イヤホンやヘッドホンは重要な仕事道具だ。音を正確に聴き取り、効率良く仕事をするためにはほぼ必須である。

最後に

絶えず情報にアクセスできる時代に、私たちは本当に何もしていないという時間に耐えられなくなっている。次の電車がホームにやってくるまでの数分間も耐えられず、コンビニでレジを待っている数十秒ですら耐えられない。

だから常に私たちはスマホで視覚を刺激し、音楽で聴覚を刺激する。というかそれしか空白の時間をやり過ごす術を知らない。いや忘れてしまっているのだ。

更に音楽をBGMにする習慣が根付いてしまったが故に、音楽を集中して鑑賞するという行為も失われてしまった。

そのどれも問題である。

イヤホンを断捨離したことによって、音楽がこれまでよりも手軽ではなくなった。だからこそ音楽の素晴らしさというやつに改めて気づけたように思う。もしかしたらそれを思い出せたことがイヤホン断捨離の最大のメリットなのかもしれない。

何事もそれがあることが当たり前になりすぎると、その有難みを忘れてしまう。だから当たり前の存在にこそ感謝の念を向けることを忘れずにいたい。

それでは。

シェアする
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次